2018年11月1日木曜日

「わたしだって君の同胞なんだよ」 外套 ゴーゴリ


あらすじ
 万年、九等官の中年のアカーキイ・アカーキエヴィッチは素朴で、見栄や出世をてんで気にしなかった。ペテルブルクの寒い冬を彼はボロの外套で耐え忍んでいた。つぎはぎだらけの外套は、同僚から半纏と揶揄されるほどだった。これ以上の修繕はできず、冬を耐えしのぶためには新調するほかなかったのである。彼の数カ月間にも及ぶ節約と数カ月に及ぶ仕立て屋との相談の後に、満足のいく外套が作られた。職場で嘲笑の的にされていた彼がその立派な外套を着ていると、同僚はそれを褒め、新調した外套を祝うパーティを行うことになった。その催しの帰り、深夜の路地に歩いていると、彼は追剥にあって、その外套を盗まれてしまった。交番に行くが相手にされず、彼は意を決し、高官に盗人を探してくれと談判しに行った。しかし、運が悪く、友人の前で恰好を付けるために激しい叱咤を高官は彼にした。そして、彼は熱病に掛かり死んでしまう。
 外套を奪う霊がいるという噂がペテルブルクで広まっていた。アカーキイ・アカーキエヴィッチを追い返した高官は彼の死を知ると恐ろしくなった。その気持ちを紛らわそうと酒を飲んだある日、家に帰る馭車の中でその霊に襲われ、外套を脱ぎ捨てた。その日から霊の噂はなくなった。巡査が亡霊を見つけたが、それは大きな体をして、好戦的でアカーキイ・アカーキエヴィッチの性格とは逆であった。





見栄えを気にする人と、着心地を好む人の住む世界は違う

主人公のアカーキイ・アカーキエヴィッチは、能力がないので大した仕事はできないのだが、誠実で、高望みもせず、見栄も張らない人物であった。彼は他人からの評価よりも自らの満足を重視した。
彼にとって、給与の4分の1ほど費やす外套を新調することは大きな出来事であった。数か月の節約と仕立て屋との相談で、外套に対する思いは加速された。新調された外套の出来は素晴らしく満足のいくものに仕上がった。彼は同僚から嘲笑されていたが、その外套を着ていると彼らの態度が変わり、まともな人間を扱うように接されるようになった。しかし、彼はそれを喜んでも苦しんでもおらず、外套を新調してよかった点は暖かさと着心地の良さと述べるだけであった。外套という他人から丁寧に扱われる道具を手に入れても、彼の他人によって一喜一憂しない性格は変わらなかった。
他人からの評価は気にしていないが、彼にも譲れないことがあった。それは自分の素朴な欲求を満たすことである。彼は数か月間も待ち望んでいた外套を奪われたことが猛烈に我慢ならなかった。その外套のために、人づきあいや関りを好まない彼が高官に直談判するほどである。彼はおおらかであるわけでなく、彼の素朴な欲求以外に興味がなかった。そして、それが満たされなくなった時、彼は狂うのだった。他の描写からもそれは読みとれる。彼は家に仕事を持ち帰り、その写書をすることが唯一の楽しみであった。彼の能力を買われて、上司から新たに文を創作する仕事を任された時、元に戻してくれと発狂した。それだけではなく、同僚からいくら馬鹿にされても気にしないのだが、好きな写書に支障をきたすちょっかいを掛けられた時、声を荒げた。この他人から見れば素朴でありちっぽけな欲求を満たすことに執着があるとわかる。結局、彼は高官から叱咤を受けてから熱病で死んでしまう。この熱病の原因は、高官からの罵りによるみじめさではなく、外套が取り戻せそうにないことの苦痛からと考えられる。彼の欲求は他人に依存せず自己完結される小さいものである。しかし、彼を取り巻く環境が彼の邪魔をしてしまう。つまり、暖かく着心地の良い外套を着たいだけなのだが、他人の表情や評価を伺う人間や、他人の物を奪う人間によって邪魔されてしまうのだった。
最終的にアカーキイ・アカーキエヴィッチは幽霊になり、道行く人の外套を奪う。その行動は盗人と変わらないが、その行動理念は彼の性格そのものである。幽霊は傍若無人に暖かさと着心地を兼ねそろえた外套を手に入れようとしたのだ。生きていた彼ができなかったことを幽霊になり成し遂げたのだ。この幽霊が最後に奪った外套の持ち主は奇しくも彼を罵った高官である。復習のように思えるかもしれないが、彼の生前の彼の性格を考えると、それを気にするような男でない。また、彼に合った外套を手に入れたとの叙述があるので、それは皮肉でもなく、単にその外套が彼にちょうど良かったからと考えられる。彼は幽霊になり、他人を威圧的にだが黙らせ、彼は自身の望みを満たせるような人物になれたのだ。

アカーキイ・アカーキエヴィッチの生き方は青年の心を打った。外套に見栄えを気にする人と着心地を気にする人は同じ人であるが、大きな隔たりがある。この青年はその境にいたので、如才のない人間の中に薄情な性格を見出せたのだ。まるで、幽霊と人間のように住む世界の違いをその青年は感じていたのだろう。