2017年4月11日火曜日

「人生は一行のボオドレエルにも若かない」或阿呆の一生 芥川龍之介

 或阿呆の一生は一貫して阿呆を描いている。しかし、芥川龍之介は本当に彼のことを阿呆と思って描いているのだろうか。一つ一つの章に人間の心理が隠されている。そこから出た言葉は阿呆とは言えないものばかりだ。我々は時によって、阿呆が言うから受け止められる指摘もあるのだろう。
  アフォリズムのようなこの小説は著者の嘆きのようだ。隠れた意味に我々は彼の考えを知ることができるのだろう。しかし、後半になるにつれて著者は疲れてしまっているように、皮肉も薄くなって、直接的な表現になっていた。

一 時代

「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」
 偉大な作家の背表紙を読んでいただけなのに、肩を並べた気になって、周囲を見下した一言である。主人公は阿呆である。しかし、我々はボオドレエルの一行より価値のないことも、誤魔化せない事実である。

二 母

 瓶の中の精神疾患があった脳髄にかすかな白いものを発見し、次に彼は空き瓶の破片を植えたレンガ塀のコケが白んでいるのを見た。レンガ塀を見れば、一つのブロックが積み重なるので、遠くからであれば脳のしわのように見える。これは精神疾患が瓶の中を飛び出して大きなものを飲み込む様子が描かれている。
 電灯技師が自分のことを黒光りのする、大きいダイナモと思っていたことから、頭のおかしさと、大きいダイナモから自意識が過剰であることがわかる。
 精神疾患は周囲を飲み込み、その影響力の大きさは必要以上に患者自身が感じて、苛まれていることを表現されているようだ。

三 家

 家が題名であるのと、傾いた部屋という語彙を強調しているから阿呆なのは家である。つまり、そんな場所にいるから喧嘩をするのだ。けれど、愛し合ふものは苦しめあふとの一言を彼は考えていた。
 本質を見ずに現象だけで考えてしまっているようだ。しかし、愛し合うものは苦しめ合ふとの一言は、頭に引っかかって取れない。その一言は芯を突いているからだ。

四 東京

 小蒸汽から見える隅田川の向う島の桜は、自分の昔のこととを表している。小蒸汽は止まらない時間を表していて、隅田川はそことはかい離されている。昔の記録は人から見えればきれいだろうが、自分は思い出すと憂鬱になるようなものだ。東京とはそんなものなのかもしれない。

五 我

 半日車に乗っていた理由を車に乗りたいからと言った先輩のおかげで、彼は合理的でない、楽しみを知った。それからカフェの無駄な装飾に目がいった。

六 病

 椰子は70年に一度だけ花を咲かせることを知って、彼は自分の短い命を思うと苦しくなった。しかし、それを受け入れて、遠くの海のむこうに高々と聳えている椰子の花を想像した。病は短い命を表している。

七 画

 画を見て、その中に吸い込まれていった感覚になった。その感覚は反対に目の前の風景を他人に眺められているような物だ。これは私が彼を見ているが、彼も私を見ていると言いたいのだろう。画でさえそうだと言っているようだ。

八 火花

 雨が故に火花が放たれているのだが、雨という状況で火花は散っているのだ。彼の上着のポケットに隠していた原稿こそ、彼にとって架空線から放たれる火花の種のようだ。生きることは雨の日のように辛いことだが、その中でも命を変えてまで、火花を打ち上げてみたいのだろう。

九 死体

 死体の匂いは不快であるが、美しく、物語を仕上げるために必要な素材であった。必要に駆られるのならば、人殺しもいとわない。人の肉体は美しく、人の心には価値が乏しいと感じていたのだろう。

十 先生

 本に残された先生の考えに彼の考えは追いついた。どちらがすばらしいということもないが、追いついた瞬間であった。先生というだけで、立派に映ることも阿呆と言える。

十一 夜明け

 先生に会うことで、自分の世界が明るくなった。それは会った瞬間ではなく、少し時間が経ってから明るくなった。阿呆であるから時間が掛かってしまったのだ。

十二 軍港

 薄暗い潜航艇の中から明るい軍港をみた。あれが金剛ですと言われると、ビイフ・ステエクの上にもかすかに匂っている阿蘭陀芹を思い出した。
 題である軍港が阿呆とすると、対して目立たず言われるまでわからない、些細なものを、象徴のように扱っていることを皮肉に書いたことになる。

十三 先生の死

 先生の死を受け入れようとしていた。新しいプラットホオオムの隣には、鶴嘴を上下させて鼻歌を歌う工夫がある。古い物が形を失うことの苦しみは、新しい物が生まれるであろう歓びと相反する。それがうねるように頭で走っているが、いずれ夜は明けて、歓ぶのだろう。

十四 結婚

 伯母の一言を伝えるのも、無駄と指摘されたものを持ちながら謝るのも、ただの挑発である。結婚が生んだ無用な気づかいである。

十五 彼等

 東京と距離を置くのであれば、もっと置け。汽車で1時間かかるのが平和なのか。

十六 枕

 枕は耳心地の良い物で、半身半馬身は非現実である。つまり、耳心地よいものを近くに置いていても、現実を見ていないだけだ。

十七 蝶

 蝶は感動した思いでであり、彼の心に触れた思いで数年でも色あせない。

十八 月

 月の光の中にいるようというのは、もの侘しさを感じながら美しいという意味だろう。そして、彼女は常にそうであったのだ。魅力を感じないわけにはいかない。面識がないので、その魅力と彼はかかわりがない。その魅力の一端を担っていないことが寂しいのだろうか。

十九 人工の翼

 情熱に駆られれば、生きることを辛いとは思わないだろう。しかし、それができない彼は理智に走った。そして、知れば知るほど、自由になり、強くなっていったのだが、それは社会との乖離に至るもので、生きていけはしない。

二十 械(かせ)

 自分の械は誰も背負ってくれない。手伝うと口だけは言ってくる。

二十一 狂人の娘

 彼は恋愛に溺れそうだが、それを理性で我慢していた。
 我々は対等だと考えることは恋心を抱いている。そして、恋心を抱くから、出会いをランデ・ブウと言うのだ。彼は彼女が夫のいる身分で躊躇なく恋愛に走ることを予感している。彼は恋心を抱いているが、理性によって妨げられていた。それが、憎悪となって、彼女の夫に女の心をとらえていないからだと軽蔑するになった。

二十二 或画家

 彼が発見した、画家の新しい詩と自身の魂は、か細い神経の上では育たないだろうと悟ったのだ。いざとなれば、命に代えても、育ててしまう、そんな危うさを表現している。

二十三 彼女

 彼女も彼も身体はしんどく、熱に浮かされ、銀色のそらの日の暮れ出して、夢のような世界にいた。そして、考えも憂鬱になって、死ぬのも後悔しないほど、彼女と世界に酔っていたのだろう。

二十四 出産

 息子が生まれた瞬間にその子の苦しみを考えるのは、阿呆である。生まれた瞬間は人間と思うより、赤ちゃんなのだろう。どんな種類の哺乳類でも赤ちゃんは、赤ちゃんと言う種類のようだ。苦しみを感じているのは動物全般であるという考えなのだろう。

二十五 ストリントベリイ

 自分の抱いている嘘を暴かれたような気になったのだろう。

二十六 古代

 仏や馬や蓮の花に、つまり極楽にあるものに圧倒されることで、狂人な女を忘れられたのだろう。それが、幸運なのは、その女に悪い意味で、感情を揺さぶられたからだろう。

二十七 スパルタ式訓練

 彼も彼女に挨拶できなかった。彼女は幌馬車で反対の方へ行ってしまうのをだまって見るしかできなかった。

二十八 殺人

 環境が悪い場所にも宗教があり、心が休まるのだ。

二十九 形

 銚子の無駄のなく、実利にも適う事こそ美しいのだろう。

三十 雨

 大きいベッドは彼女との安定を表していて、降り続ける雨のように、飽きてきていた。けれど、彼女は相変わらず月の中にいるようだった。ただ、雨が不満な気にさせるのだ。

三十一    大地震

 現実は酸鼻である。現実の酸鼻を目撃しないでいられるから、夭折は幸せだ。罪を犯した者は本当に悪人なわけではない。悪人は生き続けさせられる。死は幸せなものに訪れるのだから、みんな死ねばいい。

三十二 喧嘩

 二人の喧嘩はお互いの自由を奪っていることによる不満が原因である。どうしようもない不満の中で、お互いに大切な思いがあるのだ。それが、一本の百日紅は雨の中、赤い花を光らせていたで表現されている。

三十三 英雄

 人にはそれぞれ自分の道がある。山を執拗に登り続けるロシア人をみて、それを確信した。そして、それぞれの道を進めるように、 人の心はいいようにも悪いようにも捉えられると言って、彼は後押しをしている。

三十四 色彩

 今に思いを馳せると、景色は色味を帯びて輝きだす。将来に対する情熱は今を物足りない物と考えてしまう。それはもったいないように思える。

三十五 道化人形

 激しさと穏やかさの二面性を無意識で感じていた。無意識の内に、彼は自分が道化であると知っていたのだ。

三十六 倦怠

 生活欲と製作欲は違うのだ。とはっきり述べることは、自分の発言を正当化していると思われるだろう。それは恥ずかしいことであるし、説明しても大学生に彼の思っている意味を伝えることはできないだろう。それを感じて、黙っていたが、はっきりと芒原が露した赤い噴火山のような赤い穂にあこがれるのもわかるだろう。ただ、その時はもやもやした気持ちであって、なぜあこがれているのか気づいていなかったのだ。

三十七 越し人

 相手に勝つことは誇れるものでもない。ただ、負けた方の気持ちを惜しむだけである。

三十八 復讐

 画の中に飛行機や、電車を描いても枠の中から出ることはできない。彼はその場から逃げ出したかったのだが、子供のことを思うとできなかった。狂人の娘は子供のためだと言って、彼に子を押し付けようとしている。そんな娘を殺せるほどに軽蔑していた。

三十九 鏡

 この頃の寒さは彼しか感じていなかったのだ。また、結婚する話を聞いている自分を鏡でみると、冷たく感じたのだ。独りなのは自分だけという意味だろう。

四十 問答

 善こそが天使なのだから、天使が善悪などないと語るのはおかしい。それはシルクハットを被った天使に都合のいい詭弁だ。つまり、資本主義社会において優位な立場の人間が、正しいとされる精神的な基準を作る。それは、彼らにとって都合のいい理屈の考えだ。 

四十一 病

 モーツァルトも同じように、社会に対して恥と恐れを抱いたと知った。しかし、彼のように才がなく、苦悩を生かすことができないと悩んだ。
 どんなに評価されてても、苦悩が取れないのだろう。

四十二 神々の笑ひ声

 自殺できる我々は神よりすごいのだ。という考えに対して、春の日の松林にいる神は嘲笑してくいることだろう。

四十三 夜

 夜が明けるまで、今度の船は保つのか。
 家族ができる喜びはあるが、それに精神を束縛される苦しみで、一度目の結婚は終わった。彼は壊れるのを恐れて涙だをこらえる彼女を、遠くに見えるのは破壊された一度目の結婚だ。と言って、泣かせて助けようとした。

四十四 死

 死ぬと決断した中でも、生きたいと魂は叫び続ける。その声を無視すれば、死に入しまうに違いない。

四十五 Divan

 デイヴィアンはゲーテに憧れを持ちながらも、自分の咲ける場所で花を咲かした。デイヴァンの詩を読み終えられたら、生活的宦官に染まった彼自身を軽蔑していただろう。
 彼は生活的宦官から脱したかったのだろう。しかし、方法は見出したのだが、体力のなさに諦めていた。

四十六  譃(いつわり)

 彼は独りで生きていたら、すぐに死んでいたのだろうか。家族の面倒を見るために、嘘の多い社会で生きなければならない辛さに苛まれていた。死ぬことを許さないのは、境遇と若さだったのだ。鎖につながれた境遇で、徐々においているのを実感していたのだろう。

四十七 火あそび

 薄氷にさしている光は、乾ききった笑顔のようだ。目に見える苦悩や苦痛があったわけではなく、もういいかと諦めていた。彼女はその諦めの気持ちに共感していた。心が重なりあう、ある愛の形なのかもしれない。

四十八 死

 彼女には恋愛感情を持ってしまったが、死と向き合った時には体を求める体力がないのだろう。
 生前に死は保険のように安心を与えたのだろう。そして、死ねば平穏が与えられる。その両方を考えていたのだろう。

四十九 剥製の白鳥

 或阿呆の一生は彼の自叙伝である。そして、ほとんどの人に理解されないのはわかっていた。そして、どんな体験や考えを持ったところで、死んで残るのはただの身体だ。つまり、ただの箱であることを知り、悲しくなった。ただ、もう彼は発狂か自殺しかできないのだ。

五十  俘(とりこ)

 発狂を選んだところで死が待っている。彼らは死のだった 「神の兵卒たちは己をつかまへに来る」と云う、自意識過剰である彼らを神は笑っているとおもったのだろう。 生きようとする気持ちは消えていたので、生きるために、ばかげた神を信じることはできなかった。ただ、科学のない時代ならば、それを信じることはできたのだろうかと思ったのだろう。

五十一 敗北

 彼は死と戦ったのだ。そして、身体もボロボロになり負けた。負けたので、飲み込まれようとしていた。彼は死と戦ったのだ。

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