あらすじ
青侍が、清水へ参詣しに行く人の往来を仕事場から眺めていた。そして彼は、主のであるが、仕事中の陶物師に「参詣はそんなに効果があるかね。儲けにつながる運がもらえるのであれば行ってみたいものだが、本当に授けてもらえるのだろうかね」と尋ねた。陶物師の翁は「あなたには授かる運の善し悪しが、わからないでしょう」と答えた。青侍はその意味がわからなかった。日が傾きだして、影が伸びはじめて来て、物売りの女が桜の枝を持って通りすぎたとき、翁は言った。
「三四十年前、娘が清水の観音様に願掛けに行った。器量がよくお籠りをするにしてもボロで気が引けるような人でした。その娘は母が死んだばかりで頼るあてもなかった。坊主が陀羅尼を、くどくど唱えていて眠そうになっていた時、その声がお告げに聞こえてきた。それは云い男と帰路にであうので、その男のいう通りにしなさいとのことだった。そして帰って行く途中に後ろから抱きつけられて、無理やり八坂寺の塔へ連れられた。朝になると、男は夫婦になろうと申し出た。夢のおつげでもないのなら、ともかく、観音様の思召しだと受け入れて、盃を交わした。そして、男は当座の金を娘に授けた。男は用で出て行った。塔の奥を覗きに行くと、大量の金目の物があり、その男が盗人とわかった。そして、貰った金を持って家をを出ようとすると、老婆の尼法師が止めに来た。尼法師も娘に出ていかれたら都合が悪いと止めたが、娘は老婆と殴る蹴るの喧嘩をして、やっとの思いで出ていった。」「後になってわかったが、老婆はその時に死んでいた。そして、娘はその金を使って、宿をとった。何やら騒がしい外を見ると、検非違使が盗人のその男を取ってそいつの住処を調べに行こうとしていた。」「どういうわけか、それを見た娘は泣いてしまったのだ。それを聞いてつくづく観音様に願をかけるのも考え物だと思ったよ。」
「しかし、その後の生活は貰った金を本に安楽に過ごしたのだろう」「人を殺したって、物盗りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。その娘は幸せ者だ。」と青侍は言った。
「じゃ観音様を、ご心身なさいまし。」
「そうそう、明日から私も、お籠りでもしようよ。」
穏やかな心を持つ人と、功利的な人は、お互いの考えが相容れない。
青侍に翁はある娘の話をしたがらなかった。これは仕事をしていたからでもあるが、お互いの考えが相容れないと知っていたからとも考えられる。 翁は運が善いか悪いかが、若い人にはわからないと言った。しかし、翁の言葉に矛盾している。ある娘の話を聞いたとき、悲しい話だと思ったと言っていた。そこの仕事場は百年前も同じであるようと描写もされているので、ある娘の話は三四十年前の出来事の舞台であるようにも考えられる。なので、リアルタイムで聞いているとすれば、翁も若かっただろう。それなのにもかかわらず、若いからわからないと言うのは、話をする気がなく、誤魔化そうとしているのに他ならない。
つまり、歳が故に穏やかな心を持つ人と、功利的な人はお互いの考えが相容れないと知っていたからだろう。
日が傾いてから暮れまでの長い時間話していたが、結局翁は伝えたかったことは青侍に伝わらず、都合の良い解釈をされてしまった。
芸術家(陶物師)は人の心に敏感で、戦士(青侍)は人の心に鈍感である。
ある娘はお縄に掛かった男を見て泣いていたし、翁も同じような気持ちになった。翁は青侍に自分の信心深い人の心がわからないと知っている。それは他人に対して興味があり、注意深く観察しているから、わかることである。
しかし、青侍は「人を殺したって、物取りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね」と述べた。ある娘の行動は大した事ではないという楽観的で無粋な考えだ。それに加え、運を貰いたいと言うが、観音様を信じようともしなかった。その功利的な考えの善し悪しは言及しないが、現代にいればストレスを感じにくく、ソルジャーとして戦ってくれそうな良い人材であるだろう。
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