2017年5月19日金曜日

「人間は見切りが肝腎」俗臭 織田作之助

あらすじ

 児子家は父が死んで一家散々に大阪で生活した。百万の富を築いた長男である権右衛門の妻の雅江は、娘を伯爵との婚約にうまく運ばせようとして、必死だった。金があるこの家にないものは品であったからだ。そのため自ら雅江は鼻を成形したり、パーマネントを当てるほどだった。しかい、夫の弟である千恵造の妻が、偏見を持たれる生まれであることを知って、別れさせようと躍起になり、千恵造が朝鮮に駆け落ちすることになった。権右衛門は雅江を怒り、兄弟で会社を作ると言って、千恵造を連れ戻し、別れさせることができた。そして、すぐに再婚させるが、元妻と再び駆け落ちしてしまった。

 金を持っても俗臭は消えない。

 雅江は自分の功績を大きく考えている。自分の容姿を好くすることが娘の婚約を円滑に進めるために必要と考えているが、鼻を整形するほど必要とは思えない。彼女は強くコンプレックスを抱いているだけだ。彼女が実際に与える周囲への影響は、彼女が思っているよりも小さいことがうかがえる。
 権右衛門は人情よりも、金を大事に思う。灸の老婆を見捨てたのも、伝三郎が手を挟まれた時、それに気づきながら葉巻を吸えたのはそのためである。しかし、それが商人としてうまくゆく秘訣だと考えている。
 金を持ったところで、備わっている性質は変わらない。そして、金に操られているか、金で買えない権威に操られていることが俗臭なのだ。

2017年5月11日木曜日

「誰もが猛獣使い」山月記 中島敦

あらすじ

 李徴は才能もあり、頑固な所があった。そして、卑しい行いが嫌だったため、官を退いた。死後読み続けられるような詩人になりたかった。しかし、うまくいかず数年で官職に戻るが、馬鹿と思っていた同期の地位は高くなっていて、その命令を受けなければならなかった。彼はそれで自尊心が傷つけられた。ある日、彼は闇の中へ飛び出した。
 袁さんが途を行くと、ここは人食い虎が出てくるので、日が昇るまで待った方が良いとの忠告を受けたが、急がねばならなかったため無視をした。そして、彼は虎にあった。虎は襲ってきたが、すぐに意識を取り戻したかのように叢に隠れ、袁さんに話しかけてきた。そして、彼はその虎が同年の親友である李徴だと気が付いた。
 李徴は「なぜ虎になったかはわからない。そういう不条理もあるのだ。 虎の本能が勝る時と、人間の思考ができるときが交互に訪れる。そして徐々に虎の本能が占領してきている」と言った。そして、人間の言葉をはなせなくなる前に作った詩を後の世に伝えて欲しいと袁さんに頼んだ。その詩を聞いた袁さんはうまいが感動はしなかった。
 李徴は虎になったのは臆病な自尊心が原因かもしれぬと感じていた。詩人になりたいくせに、師も持たずかといって親友と切磋琢磨もせず、普通に仕事にも付かなかった。これは臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。自分に才能がないと思い知らされるのを怖がって刻苦もせず、才能があると中途半端に信じることで庶民に紛らなかった。そして、次第に世と離れて、噴悶と恥で己の臆病な自尊心を飼い太らせることになったからだというのであった。
 月が消えてきて、李徴はもう虎に戻らねばならぬからと言って、最後に自分の妻子についての心配を袁さんに託した。すると自嘲的になって、すぐに妻子を心配すべきなのに、自分のくだらない詩のことばかりを気にしているからこんなふうになった囁いた。もうこの途には来るなと袁さんに言って、袁さんを帰らせた。

自尊心の強い奴は閉じこもると羞恥心が肥大して、自嘲的になる。
 

 自尊心の強いやつは、自意識過剰が故に過度に自嘲的である。

 虎になった自分の言葉は誰にも届かないと李徴は言っているが、目の前の袁さんには届いている。ただ、何か世間のように具体的にはよくわからない物を作り出してしまい。自分を蔑むようになる。

 自嘲的な詩はいくら言葉がきれいで体裁が整っていても美しいと思わせられない。

 大体の人は彼に興味がないし、結局は他人に興味がない。彼が自意識過剰になって、自分の境遇を憐れんでいても、それは伝わらない。ただの自分を守るための言い訳を聞かされているように、思えるからだ。つまり、詩の韻や言葉使いが美しくても、自嘲的な詩は美しくない。そして、それが評価されることはない。

誰もが触れられたくない感情を持っている。
 虎の本能を自尊心とすると、人間の頭は理性的と解釈できる。誰もが猛獣を飼っているというのは、誰でもコンプレックスがあり、それを突かれると情緒的になってしまうということだ。それが猛獣であれば誰も触れようとせず、傷つけられることがない。
 李徴は羞恥心の虎を飼っている。この話は自尊心の強い人が猛獣を肥やしてしまうと、孤独になり狂うことを伝えている。我々の中に羞恥心の虎がいないからと言って安心できるのではない。我々の中にも何かの猛獣は居て、それを飼い鳴らすか、育ててしまうかで、周りを助けるか傷つけるかわかれるだろう。そして、年を取るごとに顕著に表れてゆくだろう。

2017年5月10日水曜日

「まあ何て嫌なやつらだろう。また悪魔だ。大きなことばかり言ってやがる」イワンの馬鹿 レフ・トルストイ

あらすじ
 兵隊のシモン、商人のタラス、馬鹿な農夫のイワンは兄弟であった。シモンとタラスがイワンにお金の無心をしても、イワンは馬鹿であるから素直に渡した。悪魔にそれを見られて、3人の仲を引き裂こうと策略された。
 シモンとタラスは小悪魔に大きな野望を抱かされて、悪魔に飲まれていったが、イワンは馬鹿であるからそそのかされなかった。そして、悪魔によってシモンとタラスが一文無しにさせられた。悪魔の計略で、残すはイワンだけでるが、彼には欲もなく悪魔がどんなことを言っても伝わらなかった。なので、イワンを陥れることができなかった。
 悪魔は頭を使って仕事をしようと村で唱えていたが、イワンの村人は誰一人理解できず、悪魔は倒れてしまった。
 イワンは手がごつごつしている人にはご飯をあげて、手のきれいな人には残飯をあげるルールができた。
 
 金や権威や楽して働きたいと思わず、地味に働くことが大切だ。
 兄たちが悪魔にとりつかれたのは、権威欲や金欲があったからである。イワンはそれがなかったので悪魔に飲まれなかった。イワンが万病を治す木の根を悪魔から貰えたのも、将来のことを考えていたからではなく、ただ単に今の腹痛を治したかっただけである。食う物にも困っておらず、権力が欲しいとも金が欲しいとも思わず、そして馬鹿であるから、将来のことより、今直面している問題しか考えられないからだ。
 イワンはやさしいのではなく、馬鹿だ。人助けしようというのはやさしさだが、イワンは充足しているから足りない人に上げるというだけであり、決して優しさからではない。また悪魔を汚いという理由で殺そうとしたのは恐ろしい。姫を助けようと家を出たが、手の動かない老婆を助けてしまったのもまた、治す力を持っているからである。相手が姫だとか老婆とかは差別していないのだ。
 手のごつごつした人は真面目に労働している人だ。頭が悪く成果が出ない時もあるが、手の綺麗な怠け者と違い、うまくいく時もある。
 大きな欲望に飲まれて、地味に働けなくなった人になるのではなく、馬鹿であってもいいので実直な人間になるべきだ。


 東大を目指している人と、そこそこの大学を目指している人は同じ受験生なのだが、東大を目指している自分は頭が良いと勘違いするというのが、大きな欲望は現状を見誤るという例だろう。
 働いている時間が長ければ偉いと勘違いするのは馬鹿である。けれど、長く時間を費やしているというのは素晴らしいことで、頭の善し悪しで効率が代わる仕事でなければ、つまり単純な肉体労働であれば長い時間に比例して成果は出てくる。怠け者は何をやらせても怠けるので救いようがない。

2017年5月4日木曜日

「合理的には、それを善悪のいずれに片付けてよいかしらなかった。」羅生門 芥川龍之介

あらすじ
 京都は飢饉だった。下人も腹を透かして盗人になるかと思案するほどだった。そして、羅生門の上の楼で一晩をしのごうと覗きに行くと、そこにはガリガリの老婆が死人の髪を毟っていた。下人はすぐさま老婆を追い詰めた。すると老婆はこの女も生きていくために嘘をついて商売していたのだ。私も生きていくために髪を毟っているので、女も許してくれると言った。
 下人は覚悟を決めて老婆の着物を剥いだ。生きていくためにやるのだ許してくれるだろうと言って、暗闇に走り出した。

 卑しさに飲まれるのも仕方ないが、それ相応の罰を得る。

 下人は頬のニキビを度々気にしている。これは外面を気にしていることから、気高さを捨てられないでいたことが読み取れる。盗人になるしか生きる選択肢がないにも関わらず、実行に移す勇気が出なかったのもその理由である。まだ理由も知らないうちから老婆が死体の髪をむしっているのに嫌悪感を抱いていたのも同じである。
 老婆の命は下人の手に握られていた。そして、着物を剥がされてしまった。人の命を握られるのは神くらいである。このような書き方は、神が卑しい人間の行いに下している罰といえる。
 老婆の言い訳を聞いて、下人は気高さがなくなった。着物を剥ぐとき、自分が餓死することなど考えになかった。ただ、淡々と自分が盗人になれる理由を見つけただけだった。
 そして、盗んだ後は黒洞々たる夜に消えていき、誰も行方を知らない。つまり、つかえていた家に戻らなくなったと表していて、おそらく死んだか盗人になったのかどちらかである。下人の気高さは言い訳を与えるとすぐに消えてしまったのだ。そして彼も幸せな生き方をできなかったのだ。
 人は気品や気高さを持てばとても美しいが、簡単に卑しくもなれる。そして、卑しくなればそれ相応の生き方しかできない。