あらすじ
李徴は才能もあり、頑固な所があった。そして、卑しい行いが嫌だったため、官を退いた。死後読み続けられるような詩人になりたかった。しかし、うまくいかず数年で官職に戻るが、馬鹿と思っていた同期の地位は高くなっていて、その命令を受けなければならなかった。彼はそれで自尊心が傷つけられた。ある日、彼は闇の中へ飛び出した。
袁さんが途を行くと、ここは人食い虎が出てくるので、日が昇るまで待った方が良いとの忠告を受けたが、急がねばならなかったため無視をした。そして、彼は虎にあった。虎は襲ってきたが、すぐに意識を取り戻したかのように叢に隠れ、袁さんに話しかけてきた。そして、彼はその虎が同年の親友である李徴だと気が付いた。
李徴は「なぜ虎になったかはわからない。そういう不条理もあるのだ。
虎の本能が勝る時と、人間の思考ができるときが交互に訪れる。そして徐々に虎の本能が占領してきている」と言った。そして、人間の言葉をはなせなくなる前に作った詩を後の世に伝えて欲しいと袁さんに頼んだ。その詩を聞いた袁さんはうまいが感動はしなかった。
李徴は虎になったのは臆病な自尊心が原因かもしれぬと感じていた。詩人になりたいくせに、師も持たずかといって親友と切磋琢磨もせず、普通に仕事にも付かなかった。これは臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。自分に才能がないと思い知らされるのを怖がって刻苦もせず、才能があると中途半端に信じることで庶民に紛らなかった。そして、次第に世と離れて、噴悶と恥で己の臆病な自尊心を飼い太らせることになったからだというのであった。
月が消えてきて、李徴はもう虎に戻らねばならぬからと言って、最後に自分の妻子についての心配を袁さんに託した。すると自嘲的になって、すぐに妻子を心配すべきなのに、自分のくだらない詩のことばかりを気にしているからこんなふうになった囁いた。もうこの途には来るなと袁さんに言って、袁さんを帰らせた。
自尊心の強い奴は閉じこもると羞恥心が肥大して、自嘲的になる。
自尊心の強いやつは、自意識過剰が故に過度に自嘲的である。
虎になった自分の言葉は誰にも届かないと李徴は言っているが、目の前の袁さんには届いている。ただ、何か世間のように具体的にはよくわからない物を作り出してしまい。自分を蔑むようになる。
自嘲的な詩はいくら言葉がきれいで体裁が整っていても美しいと思わせられない。
大体の人は彼に興味がないし、結局は他人に興味がない。彼が自意識過剰になって、自分の境遇を憐れんでいても、それは伝わらない。ただの自分を守るための言い訳を聞かされているように、思えるからだ。つまり、詩の韻や言葉使いが美しくても、自嘲的な詩は美しくない。そして、それが評価されることはない。
誰もが触れられたくない感情を持っている。
虎の本能を自尊心とすると、人間の頭は理性的と解釈できる。誰もが猛獣を飼っているというのは、誰でもコンプレックスがあり、それを突かれると情緒的になってしまうということだ。それが猛獣であれば誰も触れようとせず、傷つけられることがない。
李徴は羞恥心の虎を飼っている。この話は自尊心の強い人が猛獣を肥やしてしまうと、孤独になり狂うことを伝えている。我々の中に羞恥心の虎がいないからと言って安心できるのではない。我々の中にも何かの猛獣は居て、それを飼い鳴らすか、育ててしまうかで、周りを助けるか傷つけるかわかれるだろう。そして、年を取るごとに顕著に表れてゆくだろう。