あらすじ
藪の中で死体が発見された。第一発見者の木樵は「胸を刀で一刺しであり、死体の周りには何も落ちていなかったが、落ち葉が踏み荒れていたので、よほど手痛い働きでもしたのだろう。」と言った。旅法師は「二人組の男は太刀も帯びて居れば、弓矢も携えておりました。あの男が死ぬとは、人間の命は如露亦如電に違いございません。」と言った。放免は「捕まった盗人の多襄丸は、死骸の携えていた矢を持っていたので、奴が犯人だ。人殺しの前科もあるので、行方不明の女もどうしたかわからない。」と言った。その女の母は「多襄丸が娘の夫を殺した、娘も死んでいるかも」と言った。
多襄丸は「俺が女に恋をしたので、嘘をついて、男を藪の中に連れ出し縄で竹に結び付けた。そして、女に求婚すると、女はどちらか1人だけしか結婚できないからどちらか死んでと言ったので、その女の覚悟に引っ張られて、その男と決闘して殺した。女はそのすきに逃げてしまった。おれは首をつられる覚悟がある。」と白状した。
女は「多襄丸に手ごめされた後、縄につけられた男の目を見ると、私を蔑むような冷たい目で見られ、そして、殺せと目で訴えてきたので、私が刺した。そのあと自殺しようとしたが、できなかった。」と清水寺で懺悔した。
男の死霊は「女が手ごめにされた後、多襄丸に説得させられて結婚しようとしたので、怒りに満ちた。そして、女が私を殺せと盗人に言うと、盗人は怒って女を殺そうとしたが、女は逃げていった。縄をほどいて自由になったが、手元に会った小刀で胸を刺して死んだ。」と言った。
自分の基準で、他人の考えを推察してしまうが、他人の真意はわからない。
木樵、旅法師、放免、媼はそれぞれ、勝手な推測をして適当に予想している。ただ、どれもが盗人の多襄丸と女と殺された男の話した事実と異なっている。
事実を知っている三人の主張は、それぞれの性格が表れている。死ぬ覚悟をしている多襄丸の話に出てくる女は覚悟を決めていて、懺悔している女の話に出てくる男は恥を感じている。そして、成仏できずに中有の闇に沈んでいった男の話に出てくる多襄丸は、女の言動に怒りを覚えた。これは自分の基準で、他人の考えを推察しているからだ。三人のどの話でも、それぞれ同じ人物だと思われる性格の人はいない。他人の考えは想像したところで、真にはわからないことを伝えたいのだろう。
当事者は藪の中で事実も藪の中、当事者以外は馬の通う路で藪の中の真実を知る由もないという話である。
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