あらすじ
彼は意味のない憂鬱に駆られていた。陰気な暗い場所を好む彼は、寺町の果物屋に目が行った。そこは、華やかに彩る通りにひっそりと佇んでいた。置かれているレモンを手に取ると、形と香りと、ひんやりする冷たさに心地よく感じた。そして、気分も善くなった。彼は丸善によってみた。すると再び気分が悪くなった。画集をとっては置いてをくりかえすと、隣に積み重なった画集の城ができていた。彼はその上にレモンを置いて店を出ていった。あれは爆弾で、丸善が吹っ飛べばいいと思いながら、滑稽な看板画が描かれている京極へ歩いて行った。
檸檬は、憂鬱を楽しい空想に変化させる。
彼は貧乏であるが、お金に困っているわけではない。大学へ向かう同居人の友達を見送るが、憧れているわけではない。薄暗いところがただ好きなだけ、その時の気分に合っていたと言うのがただしいのかもしれない。彼は何が理由で憂鬱を感じていたのかわからないので、対処のしようがなかった。
それから目を背けるしかできない。
レモンイエロー色の檸檬に目がいったのは、本来の彼が好むような華やかであったからだ。手に取り匂いを嗅いぐと、それまで抱いていた憂鬱を押しのけて、酸っぱいあの香りで頭がいっぱいになりる。また冷たさも、きもちがいい。そうなることで憂鬱から目を背けられた。
丸善の画集をみると、再び憂鬱に駆られる。それは画に憂鬱さを感じたからだ。
画は実在の物をただ写すわけではない。風景画にしても、現実と同じものはない。著者がフィルターを通すので無機質な画はない。彼はその苦しみを感じて再び憂鬱に襲われたのだ。しかし、檸檬を触れば再び治り、画集の著者も苦しみから開放してやろうと、積み上げて上に檸檬を置いた。彼はとても優しい人だ。
スッキリした気分で外に出た。そして、あんな憂鬱が屯している空間なんて吹っ飛べと思いながら、滑稽な楽しい画の描いている街へ、楽しくなって向かったのだ。爆発は死ねという意味でなく、溜まっている憂鬱を吹っ飛ばせといういみだろう。檸檬が爆弾のように憂鬱をふっ飛ばしてくれたらいいという意味だろう。
檸檬は彼を憂鬱から引っ張り出して、楽しい空想に変化させた。そして、それが多くの悩んでいる人に檸檬を持つことで、そこから脱してほしいと願ったのだろう。檸檬でなくてもいいのだが、憂鬱は目の前に起こっていることや、匂いや触覚で吹き飛ばすことができると伝えたかったのだろう。
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