2017年4月21日金曜日

「人間は、時として、充たされるか充たさらないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」芋粥 芥川龍之介

あらすじ

五位だが、ブスなおっさんは皆から馬鹿にされていた。しかし、彼はそれを特に何も思わなかった。
 彼の夢は腹いっぱいに芋粥を食らうことだった。友人の利仁がいっぱい食わせてやると言って、彼を京都から敦賀まで連れていった。彼の屋敷についてから、徐々に芋粥が食べたくなくなってしまった。目の前に出てきた時、彼は食べる前に腹いっぱいになってしまっていた。そして、この願いが適う前の自分をうらやましく思った。

 充たされるか充たされないか、わからない欲望は、生きる糧であり、持ち続ければ苦難を耐えられる。

 五位は冬に突然、利仁に連れられて敦賀まで向えたのは、芋粥をたらふく食えることを期待していたからである。それがあるから寒さに耐えることができた。が、大量の芋粥を提示されると、それは五位にとって適えられる欲望になり下がる。つまり、芋粥を食べることは大したことのない欲望になってしまうのだ。利仁が芋粥を食べさせてやるから敦賀に行くと言わなかったのは、五位が知れば芋粥を食らう欲望は実現されるものになってしまい、魅力がなくなると知っていたのかもしれない。

 

 大きな欲望を分不相応だからと言って持たないのは論外であるが、結局つまらない欲望になるのだからと言って、ニヒルになって持たないのも愚かだ。

 五位は芋粥を食う狐を見て思い出し、大きな欲望を持っていた自分がうらやましくなったのだ。つまり、夢が適った現在を歓んでいるのではなく、夢を追いかけたり、打ちひしがれているた気持ちになりたがっていたのだ。


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